「よし。これで終わりっと」

溜まった仕事を終えた時には、定時をすっかり過ぎていた。
日ごろから気をつけてはいるものの、細かい仕事というのはどうしても溜まってしまう。
今日中に片付けてしまいたくて、夢中になっていたら随分遅い時間になってしまったようだ。

ふと窓から外を見ると、暗闇なのにはっきりと分かる程、激しく雨が降っていた。
荷物をまとめながら、朝の天気予報で夜から雨と言っていたのをぼんやりと思い出す。

だから今日は早めに切り上げて帰ろうと思ってたのに…。

幸い校舎と教員寮はそんなに離れてはいない。
この程度の距離なら走ればどうにかなるだろう。

そう思ってエントランスから出たはいいものの、雨は予想以上に激しかった。
あっという間に服が濡れ、靴の中にまで水が浸入してくる。
そんな状態では走るに走れず、傘を持って来なかったことを後悔し始めた時

「せんせ、そんなずぶ濡れでどこ行くの?」

いつの間にか隣に一台の車が止まっていた。
止まっていたというよりは、私の速度に合わせてゆっくりついてきている。
乗っているのは…葵理事。

「どこって、もう帰るところですけど…」

突然だったので、どことなく素っ気無い対応になってしまう。

まあ、嘘は言ってないよね。

「乗れよ」

この状況ではとてもありがたい言葉だが、雨で全身がひどく濡れている。
こんな状態で乗ったら理事の車が水浸しになりそうだし、それに寮までの距離も後僅かだ。

「でも…」

「風邪でも引いたらどうすんだ、ほら、早く乗れよ」

口を開きかけた瞬間、腕を無理矢理引っ張られ、私は車内にいた。
瞬く間にシートに染みができる。あーあ…。
車は滑るように発進し、寮とは別の方向へ向かっていく。
どこへ行くんだろう…

「あの…」

「そんな格好で歩かせらんねーだろ…」

言葉を遮られる。

「あの…どこに行くんですか?寮は向こう…」

「俺ん家」

またしても言葉を遮られる。

「え…家って…」

戸惑う私をよそに、車はいつの間にか宝生の敷地に入っていた。
何度か足を運んだことはあるが、改めてその広さを感じる。
やっぱりすごいお家なんだな…

「どうした?早く降りなよ、せんせ」

そんなことを考えてるうちに、着いてしまったようだ。
理事に促されるまま、屋敷の中に入る。
相変わらず服はびしょびしょのままで、ひどく不快だった。


「…っくしゅ!」

そして寒い。
思わずくしゃみが出てしまう。



どうして家に連れてきたのか確認する間もなく、私は理事の部屋に通されていた。

「そこ風呂ね、服脱いだら乾かすから、そこに置いといて。」

「え…あの…」

「シャワーは理事長命令、濡れたままじゃ風邪引くだろ。」

「あ、葵理事…」

「あとこれ着替え」

口を挟む暇もなく、着替えのシャツが飛んできた。
どうやら私の話を聞く気はないらしい。
いつのもことだけど、今回は状況が状況なだけに少々面食らってしまう。

逆らっても無駄なことは経験上分かっているし、何よりこの濡れた服をどうにかしたかったので
私は大人しくシャワーを借りることにした。


------

着替えの服は葵理事の物らしく、私にはちょっと大きかった。
スウェットもあったのだけれど、こちらも大きくて穿いても下がってきてしまう。

こっちは、いいか

シャツだけでもミニスカートくらいの丈にはなったので、そのまま部屋に戻ると、葵理事の姿が見当たらない。
あまりウロウロするのも憚られるので、とりあえずベッドに腰掛けて待つことにした。

他人の、とりわけ男の人の部屋はどことなく落ち着かない。
入ってきた時は気付かなかったけれど、かすかに煙草と香水の混じった匂いがする。
それが余計に私の心を波立たせた。


「そんなかっこで、誘ってんの?せんせ」

耳元で突然声がして、我に返る。

「あ、葵理事…」

振り向くとコーヒーカップを持った理事の姿があった。
どうやら私の為に持ってきてくれたらしい。
カップを受け取ると、理事も私のすぐ隣に座る。

程なくして私は強引に抱き寄せられた。

薄いシャツを通して、理事の体温が伝わってくる。

「今日、桔梗と一緒にいる所を見た。」

耳元で聞こえる理事の声に、思わず体が強張る。

「それが、どうかしたんですか…」

理事が言葉を発すると、耳に吐息がかかりゾクリとする。
自分の体がどんどん熱を帯びていくのが分かった。
顔が…上げられない…。鼓動が早くなる。

不機嫌そうな溜め息が聞こえた。何か言わなきゃ…。

「あ…れは…本家に用事があって、それで桔梗先生が…」

答えようとするも、上手く言葉にならない。
あの時は本当に用事があって、たまたま通りかかった桔梗先生が送ってくれただけなのだ。
ただそれだけなのに。

「俺以外の前で楽しそうな顔、すんなよ…」

いつのも理事の調子とは違う声。
え…それって…。
思考がストップしそうになるのを抑えて、理事の言葉を胸の中で反芻する。

「…嫉妬」

辿り着いた答えをつい口に出してしまった。

「せいかーい」

「えっ?」

私を抱きしめる力が強くなる。
少しの苦しさと、理事を間近に感じる高揚感で、うまく息ができない。

「…っ」

「もしかして、せんせ、分かってやってんの?」

理事の指が私の髪の毛を弄び始めた。
きれいな長い指に絡めとられる髪の毛。
その仕草に思わず見とれてしまう。

「違います…!私はただ…!」

「いい匂いするな、髪」

反論する隙を与えてもらえない。
一度理事のペースに乗せられてしまったら後は、流されるだけだ。

「同じシャンプー使ってるのにお前から香ると特別に感じる…」

理事が首筋に顔を埋めて囁く。
何もされていないのに体から力が抜け、浅い呼吸を繰り返すしか出来ない。
それでも何とか逃れようと身を捩ると、させないとでも言うかのように、首筋にキスを落とされた。

「んっ…」

「声も…匂いも…すっげぇ刺激的…。クラクラする…。」

無理矢理上を向かされ、意地悪そうな笑みを浮かべた理事と目が合う。
その近さに更に恥ずかしくなって、顔を逸らそうとするも、しっかり掴まれていてそれもかなわない。
嫉妬…無防備…理事の部屋…吐息…唇の感触…思考が…まとまらない…。
私の顔を見て、改めてニヤリと笑うと、一気に唇を奪われた。

「っ…ん…ふぁ…」

痛い程抱きしめられ、口内を乱暴に舌でまさぐられる。
それはひどく甘い刺激となり、私の全身を駆け巡った。
何かにすがっていないとそのまま蕩けてしまいそうだから、理事に体を預けるしかなかった。

「もしかして、もう感じてんの?」

「やっ…」

やっと開放されたかと思うと唇を指でなぞられ、体が弓なりにしなる。
乱暴なキスの後とは思えないくらい、そっと触れる。
そして、今度は壊れ物でも扱うかのように、優しく口付けられた。

「オレをこんなに夢中にさせるなんて、悪い人ですね、せんせ」

夢中にさせてるのは、どっちなの。

だから、この人には、逆らえない。
ロゴスと同じくらい、私はこの人に囚われている。

「ほんとかわいいよ、お前…。これからどうしてやろうか」

理事が私に覆いかぶさるように体重をかけてきた。

「あ…おい…りじ…」

私の両手は頭の上で一つにまとめられ、強く握られている。

「…オレは何て呼べって言ったっけ…?分からない子には、お仕置きしないとな」

両腕を繋ぎとめる力が強くなり、痛みを感じる。
しかしそれと同時に握られた部分から熱が広がっていくような感覚に陥った。

「や…め…」

理事の手が強引に私のシャツのボタンを一つ一つ外していく。
見ていられなくて、きつく目を閉じた。

「だーめ。やめない」

低く掠れた声。
この声が、私の自由を奪っている。
本能的な恐怖すら、麻痺させてしまうくらいに甘い声。
きっと、本気で抵抗すれば、この人はやめてくれるだろう。
でも…私は…。

シャツの前をはだけされられ、下着だけになった胸に手が這わされる。

「…っ!」

ビクリと体がはねる。手が、冷たい。
この人の手…どうしてこんなに冷たいんだろう…。

「怖いの?でも、せんせが悪いんだぜ。」

冷たさが痛みに変わった。
理事の指が、乱暴に私の胸を揉みしだく。
目を開けることが出来ず、冷たさと痛みだけに支配されていく。
痛い…どうして…。

自然と、涙が溢れた。

「こ…んなの…いや…」

突然、手の動きが止まり、拘束が解かれた。
理事の気配が私から離れていく。

「…悪ぃ」

うっすら目を開けると、涙で滲んだ視界の中に俯いた理事の姿があった。

「葵…理事…」

私もゆっくりと体を起こす。
胸にはまださっきの指の感触が残っている。
心臓の鼓動も治まらない。

「桔梗と一緒にいたとこ見て…そんで…」

必死で言葉を探しているのが伝わってくる。

私は、理事と「そういう関係」になるのが嫌なんじゃない。
「こんな形」で「そういう関係」になるのが嫌だった。
嫌というよりも、悲しい。

刹那、私は理事の首に手を回し、抱きついていた。

「ごめんなさい…」

一瞬、理事が固まったのが分かった。
それもそうだろう。
こちらから拒んでおいて、今度は抱きつくなんて…。
でも、言葉で伝えるよりも、こうした方が伝わると思うから…。

「珠美…」

戸惑うように腕が私の背中に回される。
そして、すぐに私の気持ちを察したかのように優しく髪を撫で始めた。

「オレ、お前のことになると見境つかなくなんだよ…」

いつもの理事だ…。
強張っていた体から一気に力が抜ける。

「泣くなよ、せんせ」

そう言って涙を拭ってくれる指は冷たかったけれど、全身で感じる理事の体はとても温かかった。
なんだか、涙が止まらない。

「誰のせいで…泣いてると思ってるんですか…」

「悪かったって、イイ子だから、ほら」

子供をあやすように言うと、私の体をベッドに横たえはだけていたシャツを直してくれた。
体の上にふわりと毛布がかけられる。

「子供扱い、しないで下さい」

「じゃあ、さっきの続きする?」

この人は…本当に…。

「…結構です!」

そういう意味じゃないのに。
私は勢いよく毛布をかぶり、理事に背を向けた。

「おやすみ、せんせ。」

クスクスと笑う声がして、軽く頭を撫でられる。

優しかったり、冷たかったり、意地悪だったり、でもやっぱり優しくて

私はこの人から逃げられない。
************************************************
これも2年くらい前に書いたやつですが、そんなに寸止めが好きかっていう。
葵理事は永遠です。何度でも言います。